こちら、へっぽこ人間

目指すところはハムスター

2019/06/28

鼻水がずっと出る。

汚い話で申し訳ないが、切実に困ったことに風邪が治らない。

風邪をひき始めて1週間経つが、下火になりつつも、鼻水と痰が未だ分泌されまくってる。鼻周辺の皮膚がいかれそう。

 

今のところ2カ月連続で風邪をひいている。

もしかして私は骨太なボリューミーな体躯のくせに病弱だったのか??

有給がまだないので、有給休暇ならぬ減給欠勤だ、クソガ。

 

月末のくそ仕事が忙しい時期に体調が万全じゃないのはマジで困る。

 

 

話は違うが、気持ちが駆け足で胸が詰まったような感覚になることがある。

「気持ちがランニングマシーンで走らされてる」とか意味わからん表現しかできないんだけど。

 

フルスロットルで回転する頭のまま退勤して、その後バスに揺られて仮眠をとって、バス停から自宅まで帰るまでの道中あまりにも重たい足取りはいっそ止めて星がちらほら見える夜空を眺めて川のせせらぎを聞きながらやっとマシになったのだけど。

 

思考が暴走していたようでほとほと疲れた。

 

仕事が全然進められない焦燥感と、自分が必要なくなってしまうのではないかという漠然とした不安と、上手く人と話せない劣等感と、治りきっていない風邪による倦怠感と、SNSやメディアの娯楽で持て囃される人を見て感じる焦燥感と、何かして私もそうなりたいけどそうできない焦燥感と、

ずっとずっと焦って焦って駆けた脚が只管空回りしているような感覚。

 

表現を発信して何かになる。

そうしないと生きていけないのではないかと焦る。

誰でもできることは何れ機械だかコンピュータだかが担うようになるから、だから。

でも何もできないから。

私が好きなことは、少し開けた窓から夜風を通して、近所の川のせせらぎを聞きながら、夏の香りを感じつつ、お腹が冷えないように毛布をお腹にだけ被せて、ステテコとキャミソールの薄着でごろり、だらりと寝ることだし。

誰かが興じる程のもの持ち合わせてない。

 

おかげで焦燥感ばかり積もり積もってアホみたいに疲れる。

 

上手に「何もしない」をできるようになりたいと思う。

頭の中で自問自答が飛び交って忙しない脳みそを空っぽにできるようになりたい。

目指すところは、ハムスター🐹

大先輩を傍らに生活するのは理にかなっているし、ハムスターをお家に迎え入れたい。もふもふを吸いたい。

2018/12/26

あなたはどんな顔で見るんだろう。

唐突に、一方的に、独善的に、背徳的に姿を消した私。

あなたはどんな顔で見るんだろう。

半年もの間、消息を絶っていた私。

あなたはどんな顔で見るんだろう。

それでも尚あなたに嫌われたくないと思う私。

あなたはどんな顔で見るんだろう。

2018/12/09

言語化により私の感情は認知される。

私のことなのに、私は私のことが分からない。

心のなかにある、どこかすっきりしない気持ちがなんなのか分からない。

刹那的に味わう快楽があれどその気持ちが心かどこかにある。

それにすら気づかず、ぼんやりと炬燵で検索エンジンを叩く。

ふと思いついたことを検索エンジンに乗せてクリックをすれば、関連した世界中の人の意見を目にすることができる。

 

私が叩いたワードは、ある人の名前だった。

数年前に自ら命を絶ったある女性の名前。ネット上に彼女の息遣いが残る場所に、道を辿るように。ふと過ったそれを叩いた。

 

その場所は私にとっては辛い気持ちを表明する場所だ。

彼女の言葉が私の思いを映し出す鏡なのだ。

つらい、怖い という純粋な気持ちを言語化してくれる手段のようになっているのだ。

 

もちろん、イコールではない。

彼女の苦しみも環境も、私には知り得ないし、きっと似ても似つかぬものだ。

違う。そうじゃない。

同一視をしているとかそういうのじゃない。

ただ、よく分からないが、心にモヤがかかったようなそんなとき、彼女のことを思い出すのだ。そしてあの場所に行って、彼女に救われるのだ。

 

苦痛の表明が下手くそな私は、きっと彼女の純粋な感情が閉じ込められているあの場所で、やっと表明することができる。

「これは苦痛だったんだ」と。

 

 

苦しいという言葉が一人でに出ない。

私にとっては苦痛は無意識のなかに潜在している。

誰かの怒りや悲しみに共鳴して、初めてその存在に気づく。

その苦痛から離れたとき、無くなって初めてそれの存在に気づく。

 

一人で戦場に立つなかで安堵はない。

苦痛の知覚に必要なのは安堵だ。

痛い、悲しい、つらいなど戦場で言う間はない。

安堵は、共感と受容。

 

 

私はどうも一人で生きるなど無理らしい。

「誰もが一人では生きられないよ」と待ってましたなと言わんばかりに、その陳腐なフレーズを突きつけられそうだが。

複数の繋がりをバランスよく保持して生きるカールじいさんの家タイプでなくて、私は一つの風船に頼る気球タイプなわけで。

あー、そうか。誰もが一人でどうにかできていないのか。

2018/12/09

私は何かに留まらない。

常に一貫した関心を持たず、揺蕩い、色を変え、明日には違うものになる。

今の私が昨日の私でないことが悲しく思うことがある。あの人が愛した私がいないことを悲しむ。

私が尊敬してやまない人は、その変わることを美しさだと言う。

「変わることが美しい」のだと。

私はその美しさを受け止められない。

だって、私は愛してくれたあの人が好きだから。

それに応えられない私自身を愛することができていないから。

 

あの人と共通するそれを無くした私のどこをあの人は愛してくれるだろう。

空っぽになった私のどこを愛しいと思ってくれるだろう。

空っぽになった私を見て、あなたは何を言うだろう。

 

変化することを肯定し得るほどには変化した。

ただ、まだあなたを失う恐ろしさを受け入れられずにいる

20代ニート「つらい」

なにやってんだニート、求職活動しろ

 

と声が聞こえてくる気がする。

そんなこと言われるんじゃないかと、どこか怯えながら生活してる。

誰でもない自分の声だ、気にしなくていいんだと

落ち着いて考えたら分かる。

気にしなくていい、貴方のペースでいなさい

も私が他人ならそう声を掛ける。

 

なのになんでか、

自分に対する自分は当たりがきつい。

「誰か」を代弁してる風を装っているあんたは一体何者なんだ。

 

こびりついた「常識」のせいか。

 

 

10月をもって仕事を辞めた

もっと苦痛が少ない道を歩みたい

ただその一心だった。

このままこの道を進んだらツライ気持ちに蓋をしながら、もしくはツライ気持ちに苛まれながら生きていくとになる。

そこまでしてこの道に執着する意味あるのか

と思って辞めた。

お金が沢山あるわけじゃないけど、なんぼか貯めたお金を抱えて実家に戻った。

親の脛齧りだと重々承知しているが、前々から戻りたかったからもうどうでもいい。

 

ニートになって約1ヶ月経つ。

抑うつになったり、高揚になったり

自分が安定しない日々を送りながら

転職活動の奮闘とお祈りに一喜一憂しながら

ひきこもったり、スーパーや図書館に出かけたりしながら

もう1ヶ月経った。

 

このまま、どうにかなるのか

と不安になることがいっぱいある。

最近は緊張型頭痛と心因性発熱らしきものが続いてる。

 

スマホジョジョピタを沢山するものだから、「眼精疲労のせいで頭が痛くなったのか」

「季節の変わり目で風邪を引いたのか」

と思っていたのだけど。

ちゃんとごはんを食べて、あたたかくして十分な睡眠をとっても治らないものだから、

まさかストレスのせいかと。

 

つらい、痛い、なんなんだ全く。

 

もっと楽に行きれたらいいのに。

 

仕事をしても 緊張型頭痛

仕事を辞めても 緊張型頭痛

何をしていてもつらい。

自分が悪いのだろうけど、じゃあどうすればいいんだ。

 

「もっと、つらい気持ちが少なかったらいいのに」

と4月から社会人になってしばしば思う

なんでこんなにつらい思いをしなきゃいけないんだ。

 

《みんな、つらい思いをしながら働いてるんだよ。仕事を生き地獄だよ。》

 

知ってる分かってる理解してる

でも違うって信じたい

お金を得るのはつらい思いをすることが対価でなくて、

相手の役に立つことが対価だと。

必ずつらいことをしないといけないわけじゃないと。

なるべく軽度のつらい気持ちで、その対価を充分に払うことができることを。

信じたい。

 

つらい思いをなるべくしたくない

その気持ちをモットーにしながら、たまにふと 死にたい と思うことがある。

こんなつらい思いをしながら生きる意味ってなんなのか。楽になりたい。

そう思うことがある。

 

そんな勇気ないから死にやしないんだけど。死ねやしないんだけど。

死ねば楽になれるっていう、絶対的切り札をもっているような気がして

ちょっと安心感があったりもする。

4,5階建のビルから飛び降りて3秒数えれば死ねるのだったか。

失敗したら、嫌だけど。

 

終わりがあるのは救い。

 

 

なんの話だったか。

大した話もしてなかったか。

 

 

あたまがいたい。