ひきこもりになった話
ご閲覧ありがとうございます。
私がひきこもったときの話をただ振り返ります。
ひきこもりの定義は私の主観的なものです。
2週間ほどほぼ家から出ず、週一である授業には遅刻して参加するような過去の日々を私は「ひきこもりだったとき」と呼んでいます。
大学3年生の秋の話、インターンシップと卒業研究に追われ、自分のキャパシティの限界を迎えたときの話です。
ラインを一切開かず、外出せず、Twitterでツイートもせず、ただただ家にいました。
顔を合わせるのは親だけ。親も日中は仕事でいないので学校に行っていないことは把握していません。把握していたとしても大学生なので、そういうものなのかと程度にしか思われてなかったと思います。
学校に行かない間何をしていたのかというと
ただただできない自分の理由探しをしていました。なんでできないのか、どうしてこんな性格になってしまったのか、自分はダメだ、こんな自分誰にも見せられない……そんな気持ちでいっぱいでひきこもりは始まっていました。
見方によっては言い訳探しでもあります。
ただ今は自己受容のため、その言い方は避ける。
今思うに、幼稚ではあったが、そうなる可能性を今済ませることができてよかったと思う。迷惑をかけておきながらこう言うのは不謹慎だがひきこもってよかったとも思う。理由は2点。
1つは、学生の間に「自分はそうなりうる人」なのだと気づけたから。
人との繋がりが多いときに引きこもりなんてできないから、迷惑の少ないうちに実証実験じゃないけど、ひきこもって自分と向き合うという期間を設けられたのは良かったと思う。
2つめは、ひきこもる人の気持ちの理解につながると思ったから。
ひきこもる=あまえ、だらしない
と思う気持ちはわからんでもない。きっと私もそう思われるようなかんじだったし、事実きっとそうだった。
でもきっとひきこもりさんのなかには、全部全部自分で背負い込んで立ち止まってしまったケースもあると思う。
そんな人いたら、「あぁ私も一緒だよ。まぁそこに荷物でも置いて一緒に茶でも飲もうや」って話しかけたいと思うようになった。
なんていうか、私っていう人を伝えるには事実を作るほかないから、それができたからよかったって思う。
弱い自分を見せちゃいけないって誤魔化してきた人生だから。
人生で一回だけでいいから形にさせてください。その一回がこれ。これで最後。