2018/10/01 つぶやき「読書にはまっている」
本はいい。
知らないところへ連れて行ってくれる。
22歳になって思うのだけど、
どこに行っても似たような景色なのだ。
どこにでもあるコンビニ、ビル群、緑生い茂る山々、川
旅行が好きで大学生の頃、よく出かけたが
全国津々浦々を回りきったわけでもないが
物質的な楽しさに限界を感じた。
(が、知らない土地で普段利用しているチェーン店やコンビニがあったらホッとするから一概に否定はしない)
いくらメディアで素敵だ、ここだけだなんだと
持ち上げられていても、
その限界を感じて以来、虚無感がどこかにある。
思うに、
上澄みのような表面的な楽しみ方には限界があるの。
私の場合、景色を楽しみたくて旅行をするも、視覚的に嗜むだけではもう飽きが来てしまったのだ。
私が選んだ新しい楽しみ方は
深く深く、潜ることだ。
その表現が何を意味しているのか、
そのモノにどんな歴史があるのか、
他の物事とどんな関連性があるのか、
とかとか。
前々からゲームやアニメの「考察」が好きだったからというのもある。
そのために本が必要なのだ。
webで調べるという手もあるが、
一点に集まった情報量に関して本はwebに引けを取らないと私は考えている。
深く深く、そのものについて知るために本は有能。
今まで読書と無縁な生活を送っていたけど、
おかげで読書を意欲的にするようになった。
「読書をしろ」と義務教育、さらにはその後も
耳にタコができるほどには言われ、
朝の読書タイムに読書を強いられいた学生時代。
読書習慣をつけるために、機会を作るというのは勿論重要だと思うが
私の場合、習慣化には繋がらなかった。
読んでいたのも「先生に怒られたくないから」だし。
ぶっちゃけ「読むの遅いし、活字苦手」という意識が強かったから、本に対して親しまなかった。集中力ないし。
私のようなタイプは、本を読む楽しさより
「知識をつける楽しさ」というアプローチで
読書をしたら楽しめると思う。
だから、読書タイムってみんなが席について本を黙々と読む
ってスタイルがスタンダードだと思うけど
ノートとペンを片手に、「何かを調べるための読書をする時間」にしてもいいのではと思った。
結論
「本はいいぞ」
以上。